どんこま散歩

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児童養護施設をもっとみんなに知ってほしいブログ

児童養護施設の子どもたちには地域の理解が必要 【愛に飢えている】

子どもを育てるということ

子どもを育てるのは親の役目。
それが世間一般、普通の方の考え方なのではないだろうか。

しかし世の中には様々な理由で、親の元で生活できなくなっている子どもたちがいる。
私もその一人でした。

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町で子どもを育てるのが昔は当たり前のことだった

なんだかピンとこない人もいるであろう。
それもそのはず。今ではその光景をほとんど見ることはなくなったからである。

隣にどんな人が住んでいて、どんなことをしている人なのか知っている人がどれだけいるだろうか。
ほとんどの人が知らないのではないかと思う。

しかし、ひと昔前はそんなことはなかった。
隣近所どころか町中知ってる人で溢れていた。
それがいいとか悪いとかの話ではなくて、そうだったのだ。


お互いがお互いに興味があり、顔を覚えることでいい関係が生まれていた。
勿論それにより悪いことをするとすぐに町中に知れ渡る。みたいなこともよくあった。
と前置きの話はこれくらいにして・・・  本題へ。


そんな日本の古き良き文化は、勿論私が育った町でもありました。
むしろ都会の真っ只中にありながら、【村】のような町でした。
町の大半の人たちが顔見知りで、何かあれば情報網ですぐに情報がいきわたる。
悪いことをすればその場で容赦なく怒られる。他人の子どもとか一切関係ないのです。

叱ってあげることがやさしさ。教えてあげることがその子のためになる。
それが町の防犯などにもつながっていました。

児童養護施設にいる子どもでも関係ない

町の子どもという意味ではその子の境遇や住んでる環境、身なりや頭の良さは関係ありません。

全員が対象で全員が平等。
でなければいけません。


しかし…
そうではないのです。
下記の記事でも書きましたが、児童養護施設に住む子ども達への、大人達の知識不足による偏見やいじめ等が多くみられます。

もうね…
無知な大人の偏見はほんとに酷い。
親からあの子と関わるな!って言われたらそりゃ萎縮して言うこと聞くと思いませんか?

私たちがあなたへ何か危害を加えましたか?



ただのイメージです。
そしてその多くは公務員。

この記事が前回の続きになっている理由がここです。

学校の先生しかり
役所の職員しかり
国家議員しかり
警官しかり

勿論中には違う方も沢山いらっしゃいますので一概には言えませんが、私が住んでいた地域の方々は比較的多かったです。
特にその中でも上層部の方々の住宅が近くに沢山あったせいか、上層部の方々の偏見が多く感じました。

同級生の多くは帰国子女。
小学6年生のときなんかクラスの半分ぐらい英語わかる子が居たんじゃないかな…

ちょうどそのタイミングで新しい公務員住宅が出来たのもあったからかとは思いますが、流石に小学6年生にもなってその偏見を改めて住んでいた町で受けるとは思わなかったので、とても驚いたのを覚えています。


町の文化や伝統は護るべき
先にも書きましたが、都会の真ん中にある【村⠀】みたいな所でした。
だからこそ良かった事があります。


そう



町のみんなが児童養護施設への理解があったこと。
ここでの町とは商店街や地主さんのような昔からこの町へ住んでいる方々の事を表します。

昔から先輩達が築き上げてきた信頼関係。
各学年に先輩達はいましたので、良い噂悪い噂はあったと思います。
それなのに!

あの子は児童養護施設の子どもだからね…
みたいな目で見られたことはありません。

それどころか町で会えば気さくに話しかけてくれたり、遊びに行けばとても良くしてくれたりと、
沢山かかわってくれました。

それが【普通】だったからこその上に書いたことが不思議で仕方なかったのです。
仲間たちを護るために、その方々の子どもへ牙を向けたこともありました。

私は直ぐに意味の無いことに気が付きやめることができましたが、
中には喧嘩になってしまったり、やり返してしまう人もいたでしょう。
そうなると当然ここぞとばかりにこちらが責められます。


先に攻撃してきたのは相手なのに・・・


行動することで偏見を変える

やられてもやり返すな!!
どっかで聞いたようなセリフを言いかえたように聞こえるが、私はこの時から言っていた。

よく耳にする

やられたらやり返す。


一見当たり前のように聞こえるが、永遠に続くループ以外の何物でもない。
自分に返ってこなくなったと喜んでいる人がいるかもしれないが、実はその被害は周りの人へいっていたりする。

いじめもそうなりがちだが、止める手段は一つ。
自分のところで止める。

といってもやられたらやられっぱなしというわけではない。


自分の時はそうだったから、この先もそう。というのは何も考えていないだけなのである。
自分がされて嫌だったことは人にはしない。
いい方向に変換してあげる癖をつけるのです。


以前に書いた記事の先輩からのいじめに対して私は実践しました。
donkoma.hatenablog.com


先輩は自分がされたから、自分の時はそうだったからという理由で私に同じことを繰り返した。
それを私の代で止めたい。

負の連鎖は誰も良い思いをしないですからね。



さて、じゃあ具体的何をしたかというと。
すりこまれた自分の考え方を違う発想へ転換


考え方は簡単です。

  • 自分がされて嫌なことを繰り返さない。
  • 別のやり方で相手に伝えることはできないか考える。
  • 相手も分らないだけかもしれないと思って動く。


そうして動いている間に相手が勝手に変わってきます。
相手を変えること難しいので、まずは自分が変わって見せる作戦です。

これには時間がかかりますが、こちらにデメリットはありませんからね。



勿論それでも変わらな方もいるのでその時は・・・



無視。

それでも駄目なら社会的に訴えるしかありません。

学校を通したり
警察を通したり

スピーカーを変えると同じ事でも伝わったりしますからね。
相手を思っての行動なのであしからず。

そうしているうちに、町から少しづつ偏見によるいじめや嫌がらせはなくなっていきました。


大事なのは屈しない心
自分に負けるな!!


それをサポートするのが職員の皆さんです。
時には家族として、友人として、時には叱るときもあることでしょう。

私はとてもありがたかったです。


相手のことを思って言ったことは必ず伝わります。
それが今ではないかもしれませんが・・・
10年後にわかるかもしれませんし20年後かもしれませんが必ず。


だから諦めないで何回でも教えてあげてください。
愛をもって。


最後に

職員の皆さんをはじめ、町の皆さん
子どもちにご自身が体験したことを沢山教えてあげてください。
経験したことを自分の言葉で。

何かのきっかけになるかもしれませんし、子どもたちは覚えているものです。
必ずしも親からな必要はありません。
町全体で子どもたちに愛を。



そうしたら少しは愛に飢える子どもたちが減ると思うので。