どんこま散歩

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児童養護施設をもっとみんなに知ってほしいブログ

児童養護施設で育った経緯とそれから。

 

自己紹介を兼ねて書いていきたいと思います。

 

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児童養護施設で育った経緯

生まれは青森県中泊町(旧中里町)

育ちは東京都

 

幼いころに両親の離婚を経験。

7歳から児童養護施設で育つこととなる。

 

経緯

3歳の時に東京へ引っ越してきたみたいです。(記憶があいまいで・・・)

元々は大田区に住んでましたが、両親が離婚。

父親側へ引き取られることとなった私は、父親と姉の3人で暮らしておりました。

 

近くには父親の母、私たちからすると「祖母」が一緒に面倒を見てくれており、

父の帰りが遅いときなどは、ご飯の用意をしてくれたりもしてました。

 

祖母も仕事をしておりましたので、姉と二人の時もありましたが、

祖母が近くの中華料理屋さんに予めお金を払っておいてくれて、

二人で食べに行っても金銭の授受がないような状況になっていたのでとても安心でした。

今思えばそれを快く受けてくれたご夫婦には感謝しかありません。

古き良き日本の風習でしたね。

ありがとうございます。

 

という日々を送っていた私たちでしたが・・・・・・・

 

 

父の失踪

町も寒くなり始めた11月のある日・・・

 

 

 

 

父親が夜になっても帰ってきませんでした。

 

 

 

 

普段から二人でいることも多かったので、

仕事が大変なのかな?
ぐらいにしか思っておりませんでしたが、今思えば当時8歳と6歳の子供二人でその状況なのはすごい状況でした。

 

時間がたっても帰ってこず、夜遅くになるまで待ちましたが、

父親はかえって来ないままその日は眠りにつくことにしました。

 

夜中に何度も父親の布団を確認したのを覚えています。

窓の外が少し白けだした朝方・・・・

ふと目が覚めるとそこには父親の姿がありました。

 

お?帰ってきたんだな!!!

と思って声をかけたのも束の間

「すぐにいかないといけないから」

 

そう言って父親は私たち2人を残して家を後にしました。

それが父親との最後の会話です。

 

 

当時私は保育園の年長で、送り迎えは基本父親がしてくれておりました。

仕事の後に迎えに来てくれていたので、毎日お残り組で、時には最後になることもありました。

自然と一緒に残っていた子たちと兄弟みたいになっていたのを覚えています。

 

父親が失踪した日が何曜日だったかは覚えていませんが、後日聞いたところ保育園には行っていたみたいで、元気だったみたいです。

 

今思えばどうやって保育園までいったんでしょうか・・・

 

当時住んでいた家から保育園までは自転車でも20分はかかる場所にあり、

歩ける距離ではあるのですが、6歳児が一人で歩いて通うのを許されるわけがないので謎です。

 

父親が失踪して2,3日経ったある日、保育園の園長先生が私の元気がない事に気が付き、担任の先生に調べさせたそうです。

 

そしたら父親が何日も帰ってきていないと発覚。

 

その日の翌日から卒園まで毎朝、保育園の先生たちが順番に自転車で迎えに来てくださり、登園させてくれました。

本当に感謝してもしきれません。

 

気が付いた園長先生がまず凄いですし、仕事とはいえ毎朝迎えに来てくれる先生方。

私立保育園だからできた事なのかもしれませんが、

今の自分があるのは間違いなくこの暖かさに触れることができたからだと思います。

 

 

一人の入学式

父親が見つからないまま3、4ヶ月が経とうとした3月。

いよいよお世話になった保育園を卒園する日が来ました。 1年もいなかった保育園でしたが、沢山お世話になりました。ありがとうございます。

 

卒園があれば当然すぐに入学式があります。

 

入学式の日は祖母は仕事。

姉の通っていた小学校への入学になるわけなのですが、

私には同行してくれる人がおりません。

 

 

 

 

1人で向かう小学校の入学式…

 

 

 

 

 

になるはずでした・・・

 

 

しかし、その話を聞きつけた保育園の担任だった先生のお母さんが、一緒に入学式へ行ってくださることになったのです。

 

 

 

そこまでしてくださるのか・・・!

 

 

 

家が近所だったというのはあるのですが、

全く血のつながりもなく、娘の職場の児童だった子ですよ?

 

普通そんなこと出来ないのではないでしょうか…

 

 

本当に感謝しかありません。

 

 

なんとお礼を言ったらよいか。

一生に一度の小学校の入学式を良い思い出へと変えてくださいました。

ありがとうございます。

 

 

入学式も無事に終わり、通常の生活をし始めてひと月が経とうとしたある日。

 

 

転校することになりました。

 

 

 

そう。

一時保護所への入所が決まったのです。

 

 

全くその詳細は聞かされておりませんでしたので、

何がなんだかわからなかったのを覚えています。

 

何もわからないまま、やっと少し慣れ始めた環境からの旅立ち。

 

 

もう既に慣れっこでした。

 

 

両親の駆け落ちから始まり、離婚。

そして父親の蒸発。

 

それまでにも東京と青森を行ったり来たりしておりましたので、

新しい環境への対応能力は既にかなり高いものになっていました。

 

 

因みに養護施設へは必ず一時保護所を経由して行く事になります。

一時保護所への入所の理由は

両親の育児放棄

補導からの強制送還

虐待

 

様々ですが上記が多いと思います。

 

私たちの場合は祖母が育児をするのは厳しく、

祖母が児童相談所へ相談したところ、一時保護からの養護施設への入所を勧められたとのことでした。

 

 

今考えると好判断だったと思います。

当時祖母は60歳を超えており、引退間際。

その祖母が私たち2人の学費や食費を賄いながら育てるのは無理というもの。

 

小さいながらにその状況を飲み込んだのでしょう。

戸惑いながらも自然と受け入れることが出来ました。

 

一時保護所という場所

【一時保護所】という言葉に聞きなれない方も沢山いると思います。

先ほど少し説明しましたが、一時保護所とはその名の通り一時的に保護される場所で、

虐待により強制的に親から保護される場合もあれば、

夜中に非行等で補導されてそのまま保護されるパターンもあります。

経済的に厳しくて預けるパターンなど理由は様々ですが、

現状は虐待がほとんどと聞いています。

 

こうやって書いていると子どもが原因の理由が一つもないのが気になってしまいますが、親と言っても様々。

大抵の人は自分の親を見本として子どもを育てます。

 

子どもを育てるためのバックアップがない人もいれば、

親の子育てを見ていない人もいます。

 

それでいきなり子どもを育てるって・・・

無理があるような気もしますが、それが現実です。

 

話を戻しますね。

一時保護所というところは上記のような理由により、一時的に保護される場所です。

勿論一定の期間が過ぎれば自宅に戻り、今まで通りの生活を送る人もいます。

 

戻れる人とそうでない人の判断基準は別の記事で後に詳しくやりますが、

親のもとでは暮らせないと判断された場合

 

・養護施設

・自立支援施設(教護院)

乳児院

 

この三つの行先が主になってくると思います。

乳児院は対象年齢が1歳未満

それ以上は基本的に養護施設です。

今は名前が変わっておりますが、当時の教護院(自立支援施設)は

「不良行為を犯したもの」

「不良行為を犯す恐れのあるもの」が対象です。

 

乳児院や自立支援施設に関しては別の機会に書きます。

 

基本的には養護施設へ送致されるのですが、その前に1カ月~2カ月ほど一時保護所で生活することになります。

対象年齢は7歳~18歳

一度入所したら特別な場合を除いて外出はできません。

 

当時の情報なので現在は少し改善されているかもしれませんが、男子エリアと女子エリアに別れています。ここでは原則男女間の会話は禁止。兄妹であってもそれは徹底されます。

 

洋服や使用するのものは全て支給され、個人のものを持ちこむことはできません。

入所前にドクターチェックがありますが問診程度です。

一時保護所内では基本的には時間が管理されており、勉強の時間、運動の時間、食事、入浴、自由時間もあります。毎日夜に日記を書かされるのでゴールデンタイムのTV等は見れないといった状況です。

 

刑務所や少年院へは入った事がないのでわかりませんが、ほとんど変わらないんじゃないかと思います。

まあ一時的な保護の場なので、自由な時間など娯楽の時間はあまり必要ないと判断されているのでしょう。

 

部屋は年齢混ぜ混ぜの4人部屋が基本で、3人の場合もあります。

部屋の配置や人員構成はある程度考えられてはいるみたいですが、その時の職員の判断なので良し悪しはあります。

 

私は同年代と同じ部屋だと夜中話ができて楽しかったのを覚えています。

入所者の中でも信用度のランクがあり、問題児ほど職員の監視から一番近い部屋となります。

 

監視というと語弊がありますが、一番奥の部屋ほど職員の目は届きにくく近ければ何をしていても見られている感じです。

当時はそんな気分でした。

 

勿論、良い意味でも見てくれる部屋となるので、悪いイメージばかりではありません。

 私は入所中にはしかに罹り、一人隔離されることとなりました。

 

 

その時の部屋が正にその監視部屋。

 

夜中でも様子を見に来てくれたことを覚えています。

当然仕事なので気にしなければいけないのでしょう。

しかし、両親から捨てられた当時7歳の子どもにはとても温かく感じました。

 

その日を必死にこなし、姉とも会話できず7歳の子どもが慣れない環境で暮らす。

 

想像してみてください。

 

過酷です・・・

 

 

 そんな気持ちを沢山の方へ知ってほしくてこの記事を書いています。

 

次回は養護施設への入所してからの悩みを書きますので宜しくお願いいたします。